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2010年3月16日火曜日

今回の規制の動きは、漫画・アニメ・ゲームを愛好する者への差別である

東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト

都議会がまたぞろひどい条例を制定しようとしています。

私はといえば、無力感というか脱力感というか、怒りと呆れで
もうやってられんわ、と。

都議とか、割と頭のいい人がなってるもんだと思ったら、そうでも
ないんですね。ひどいもんです。

この手の規制推進派って、2ちゃんねるのニュー速+民と根っこは
同じだと思うんですよ。「不愉快だから死ねばいい」と言ってるだけ。

ペドフィリアにしてもオタクにしても喫煙者にしてもギャンブル中毒に
してもネット中毒にしてもアルコール中毒にしても、本来誰にでもある
ちょっとした他人との齟齬を持った人が、「誰かを差別したい」と
いう恐ろしく幼稚でエゴイスティックな欲求を持つ人の犠牲に
なってしまっている。

百歩譲ってこうした人を「問題だ」とするならば、本来は公共の
機関が更生を支援しなければ社会の存続に関わるのだけれど、
そうなったらなったで、「なんでこんな奴のために税金を使わなきゃ
いけないんだ」ってなるんでしょ。だから、「死ねばいい」と。

バカって言った方がバカだ理論で、差別する奴が差別されれば
いいのに。

あと、なんだかキリスト教系の団体が裏で暗躍してるとかって噂も。
また日本人が宗教に対して嫌悪感を抱く原因が増える。

作家だった都知事がこんなの認めようとしてるんだから、もう本当に
自民党はダメになる一方だなあ。

2009年11月13日金曜日

差別される人は、他の差別を受ける人を慮る余裕がない

知的障害者の置かれた状況に相次ぐ怒りの声「浦安・女児わいせつ事件」第3回口頭弁論@JanJanニュース

私は、警察でも検事でもないし、報道された情報のみでは、
この事件について信用性を判断することはできない。
ただ、証拠が不十分だとしても犯罪は犯罪なので、
事実を追及すべきだと思うし、疑わしきは罰せずという
原則がある以上、信用性が疑われる以上は、容疑者を
罰することはできない、というのも解る。

ただ、被害者が健常者であっても、大人であっても、
「被害者証言を容疑者が否定している」という構図は
よくありそうな事で、被害者証言以上の証拠が
求められるのではないか。

「証拠がなければ罰する事ができないのか」と
憤る被害者側の気持ちも解るが、証拠がなければ
罰するべきでない、という原則は崩せないと思う。
「障害者だから、子供だから、と証言を軽く見られている」と
警察や検察や裁判官を非難するのは、やはり違うのではないか。

わいせつ行為自体は行われていたけれど、どの程度か、が
問題になっている場合、これもやはり証拠がなければ
軽いものになってしまう。

証拠を残さず犯罪を犯せば、それは裁かれないのか、と
言われれば、本当に証拠がないなら裁きようがないよね、と
答えるしかない。
実際、警察や検察はその証拠を探すのが仕事なのだから。

確かに、障害者の証言に信憑性がないというのは差別である。
でも、問題行動の多い教師だったから有罪に違いないというのも
差別ではないか?

ひっかかるのは、この容疑者が児童ポルノを所持していた事について、
単純所持を禁止するべき、という論調になっている点だ。
児童ポルノの所持自体は、現状はギリギリ白なグレーゾーンであるが、
この事件を持ってそれを黒と認定するならば、所謂グロ画像系の
蒐集も異常な欲求として裁かれる対象になってしまう。
児童に対して性的な欲求を感じることは、教師の資質としては
甚だ問題だが、それ自体は犯罪でも何でもない。国民全てに
与えられた、思想の自由の範囲である。
その欲求を実現する事が犯罪なのであり、実現に近いポジションに
そうした人を配置することは不適切ではある。
だから、「教員免許を所持する者は児童ポルノを蒐集しては
ならない」という決まりを作れば済むことではないか?
児童ポルノの蒐集は、「犯罪ではないが、教員としては不適切」な
行動、程度に留めるべきだ。

被害者が加害者及び加害者予備軍となるグループに対して憎悪を
持つのは当然であるが、その憎悪を持った攻撃は、これまで
加害者だった者を被害者にする。差別された者が、他の人を
差別するのに積極的になってしまうのだ。

障害者への差別・子供への差別と同様に、ペドフィリアたちへの
差別もあってはならない事である。
犯罪者への差別も同様で、犯罪を犯した者はその犯罪に見合った
罰を受ける。それは概ね、有罪が確定した際の、社会的信用の
損失を含むもので、機会からスポイルされることはあっても、
暴力を受けたり差別を受けるべきではない。
ましてや、「犯罪を犯す恐れのある」者は犯罪者ではないので、
余計である。かつては障害者がその立場だったのに、今や、
ペドフィリアがあたかも既に犯罪を犯したかのように差別を
受けているのである。

「そういう奴が存在することが不快だ」という感情を持つ人が
多数派ならばそうした人を排除することが民主主義なのか?
先人たちが艱難の果てに勝ち取った「人権の平等性」と
「思想の自由」を、愚かな多数派が放棄してしまうのを、
良心を持った人間は止めることができないのか?
かつて、「障害者が不快だから排除しよう」と抑圧されていた
人たちが、今度は「ペドフィリアが不快だから排除しよう」と、
攻撃する側に回ってしまっているんじゃないか?

→アグネスがアップを始めたようです
「考えるだけで犯罪である」と主張する思想統制派は、
とても厄介です。
「思想統制するべきだ」と考えること自体は自由なんですけどね。
愚かなだけで。願わくば、正しい倫理を持った大人全員が
そうした人を無視することを。
でも、ネタとして面白いから皆いじっちゃうのよね。
それが思想統制派に対する差別だ、と言うならもう少し考えるけど、
現状はただの幼稚な屁理屈にしか聞こえないんだよなあ。

余談ですけど、死刑についても同じことが言えます。
多くの人が死刑を望んだら、死刑を行うことが許されるのか?と
いう問題。私は、「本人が死刑になることを望んだ場合」のみ、
死刑が下されるべきだと考えています。
これって、死刑反対派からは「例外を認めてしまえばそれは
死刑賛成派と同じだ」と言われ、死刑賛成派からは「これだから
死刑反対派は・・・」と言われるのですが。
この辺はいつかまた別のトピックとして。

・・・死刑とかペドフィリアとか障害者とか、すごく
デリケートな問題なんですよね。本来、軽々しく語っていい
問題じゃないんですが、直近の問題として
「奴らを差別してしまえ!」と言う人たちがいるので、
どうしても「ちょっと待て!」と言わざるを得ないというか。

あとは、差別的発言と言論の自由、というトピックも
あるのか・・・。