2009年11月18日水曜日

生きる意味を奪われた我々がするべきこと

「我々は何故生きるのか?」という問いは、
とても昔から繰り返されてきました。

昔は、「神に仕えるため」という答えがありました。
近代になり、それは「戦うため」となり、
「仕事のため」「家族のため」と変遷していきました。
現代において、その問いに対する答えは、
「死ぬのが怖いから」
というものしか残っていません。

死ぬのが怖いから生きている我々は、
どのように生きるべきか?という問いが次に来ます。
それは、「自分の苦痛を最小化し、快楽を
最大化すること」がその答えとなります。

かつて、生きる目的であった「宗教」「暴力」
「仕事」「家族」は、既に我々にとって苦痛でしか
ありません。
反面、我々の快楽とは何か、という問いに対して、
「自分は正しいという満足感」「他人を屈服させる
優越感」「仕事における達成感」「性交や愛情の
享受による快感」など、結局従来の目的に付随するもの
ばかりです。
快楽を最大化しようとすると、それに苦痛が付随
する、という構図は既に明らかになっており、概ね
現代においては、快楽よりも苦痛の方が大きいのです。
よって、人は苦痛を最小化することに重きを置く
ようになり、何もしない、無為無策となっていきます。

我々三十代の人間は、ギリギリで仕事や家族に生きると
いう事に間に合った人も多い世代です。
しかし、恐らく今の二十代は完全に無為になり、
今の十代には何らかのアクションが起こると思います。

そして、そのアクションは、このままだと暴力の復古、
戦争又は革命になるのではないか、と危惧しています。

個人的には、暴力よりも宗教の方がマシなのでは
ないかと思っています。
ただ、この宗教という名前が、現代では非常に外聞の
悪いものとなってしまっています。
現代社会に合わせた形の、新しい宗教の形として、
「趣味の地域コミュニティ」を提唱したいと思います。
もう少し簡潔な名前にするなら「サークル活動」で。

その中のルールとして、幾つか。

・「メインの趣味カテゴリ」が同じ人が
 定期的に同じ場所に集まって様々な活動を行う

・経済活動は、基本的に各自で行うが、最低限の
 運営費は供託し、助け合いの精神で、苦しい人には
 援助を行う。

・人の集まりなので、諍いは発生すると思うが、
 「仲間なんだから」と寛容になる。
 極端に運営に支障を来たす場合の除名はあり得る。

・サークル内での恋愛及び金銭の貸し借りは、
 トラブルにならない範囲で原則自由。
 トラブルが発生した際は運営側がある程度介入する。

・複数サークルへの参加も原則自由。

・運営に携わる者は、メンバーの悩み相談を受け付ける。

・運営に携わる者へは、ある程度の報酬がある。
 基準はフルタイムで働いて最低賃金+月数万円くらいの能力給。

こんな感じ。
・・・宗教ってより、国とか自治体から援助受けた
NPOって方が現実的な気がしてきた。
最初は「野球サッカー」と「水泳陸上」と
「囲碁将棋」と「音楽絵画」あたりがいいかなあ。
個人的には「釣り」と「テレビゲーム」も
入れたいところだけど。

どこかの自治体でやりませんか?サークル活動。
全然稼動してない公民館とかの有効利用になり、
引きこもり支援とかにもなるんじゃないかと思いますが。

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